煉瓦を敷き詰めた道に落ちる雨垂れは、アスファルトのそれと異なり、高くはねあがる。
飛沫は白く軽やかに跳ねて、暗い色の町並みに小さな模様を刻む。
雨の日にだけ咲く花のように、カラフルな色合いの傘を、携えた人並みが窓ガラス越しに行き来するのが見える。
雨のなかでは、色が強く鮮やかに見えるのはなぜだろうか。
それが自然物である店先のグリーンでも、楽しげな声をあげて行き交う若者の赤いスカートでも、はたまた濡れた所をくらい灰色に染める電柱であっても、等しく強く発色する。
熱帯雨林に降るスコールが、強烈な新緑を浮かび上がらせるように。
黄色い雨合羽を着た可愛らしい犬が、雨にも負けず楽しそうに軽やかにかけていく。寒そうに首をすくめコートの前をかき合わせる姿とは対照的だ。
二月の末の雨はそこまで来た春の気配に緩んだ体にしみるように冷たいが、それでも真冬のものとことなり、どこかに隙がある。
それは肺腑から吐き出される呼気がもう白くないことや、手袋のない指先がかじかまないことからも感じられる。
3月ともなれば吹く風には春が濃くなり、当然花粉もたくさん混じっている。雨の翌日はれあがった空が少し恨めしく感じるほど。
遠く野山で枝先にみっしりつけた花粉の塊を、吹き渡る風にたっぷりと含ませる杉の姿を想像するだけで、鼻水くしゃみが吹き出しそうだし目が痒い。
ものすごく爽快な光景のはずが、恐怖しか感じなくなるとは、切ないものだ。これだけ多くの人が花粉症に苦しめられている訳だから、そろそろ特効薬的な治療法や薬が出てきてもおかしくないのではないか?とは思うのだが。
一方で体を守るための免疫反応の過剰であるアレルギーは、外的な寄生虫や細菌、ウイルスに対しての防衛機構の延長であるので、どこまでが異常でどこまでが正常かの線引き自体が難しいというのはよく分かる。
がん細胞が元は自らの細胞の一部であり、外界からの侵入者と違って敵味方の区別がつき辛く攻撃しづらい、というのと少し似ているだろうか。
免疫反応がなければ生体は簡単に病に食い尽くされるだろうし、かといって過剰に反応し異常な量の涙や鼻水、くしゃみが出るのも困ったものだ。
もっと酷い食物アレルギーでは気道粘膜が腫れ上がって、呼吸の道を閉じてしまい息ができなくなって死んでしまう。何事もバランスが大切なのは社会も体内も同じなのだ。
過剰な防衛は自らへの攻撃になる、という言葉にすると何やら含蓄が深いようにも見えるので不思議だ。
先日謙遜しすぎる日本人は自らをその言葉で縛り、能力を貶めているというトピックスを読んだ。
そこに取り上げられていたものは、「つまらないものですが…」といいながら先方にお茶菓子を渡したり、「粗茶ですが…」といいながらお茶を出したり、することのほかに、「私なんか…」や「うちの愚息が…」などなど、なるほど日本人らしい言葉の数々だった。
かつてニュージーランドにホームステイをした時に、お土産を渡す際に「たいしたものじゃないけど」というニュアンスで渡しては駄目だと、英語の先生に言われたことがある。
「大したものではないものを相手にプレゼントずるのは失礼だから」ということだった。文化の違いは面白いなあと思ったものである。
この場合の「大したものじゃない」はある意味なのだ。
それなりにきっちりとしたいいものをもちろん選んでいるのだ。でもそうであっても、謙遜を混ぜ一言おくことで、中身をみて「わあこんな素敵なものをありがとう!」といって頂きやすくしているのだと思う。
「大したものじゃない」と本当に大したものじゃないものを持っていったら、正直、「あの人変わってるわね」という評価、もしくは「非常識だわ」と思われても仕方ないと、日本生まれ日本育ちの私は思う。
「粗茶ですが」はそんな粗茶でもないし、普通にお茶のことが多いし、むしろ出して下さる気持ちで十分だと思う。
同様に「私なんか…」という言葉を日本人らしくいう時は、「私がなりたい私にはまだまだ全然及びもつかないし、もっと努力してこうなりたいっていうのは分かっていてそこに向かって努力はしていますが、でもまだあなたにとっては未熟なものでしょうからどうぞご配慮下さい」というのが含まれている訳だ、私の場合。
そう、言う側も中身がそういう意味だと分かっていっている場合は、「私なんか…」という後ろ向きの言葉の形に縛られはしないと思う。
でもきっとここで取り上げられているのは、そういう含まれた意味の話ではなく、その言葉の持つ単純な音に込められた意味だけを、表面的なその単純で端的な意味だけを、使ってしまっているからではないだろうか。
それならば分かる。
「私なんか…」といいいつづけたらきっと「なんか」になってしまう。それはとても悲しい。裏に意味が込められないのなら使わない方がいい。
だから使うならば「私なんかって一応体面的にいいますけど、私もの凄く努力してるし頑張ってるし、いまだに足りないところはいっぱいあるけど、それを補うために向かって精いっぱいやってんだ!ヒュー!私最高!誰がいってくれなくても私最高!!」という意味を込めてもらいたい。
言霊の力は大きい。
呪いの言葉は自分を縛ってしまう。誰かにいわれた言葉は長く刺となって残ってしまうこともある。
我々は生きているだけで、他者と関わらなければならない。
外界からは思いも寄らないところから、刺やミサイルが飛んで来る。防御をある程度固めなければ傷つきすぎてすぐに死んでしまう。
でも防御を固めすぎて周りが見えなければ、孤独でまた死んでしまう。それもバランスなのだ。
ちなみに家族が使う「うちの愚息が…」シリーズだが、これは身内を自慢しないための伏線である。本気で愚息だと思っていない方が確率が高い。まさか自分の身内を「うちの子は天才なんですよ!」なんてシャイな日本人はいえないのだ。
誇りに思っているけれど、それを周りに自慢したい気持ちがばれるのは恥ずかしい。
でも、もし謙遜のために癖のように繰り返しあなたがいってしまう立場なのであれば、それが家族を傷つけているかも?と思って欲しい。
小さな言葉だけれど、実はあんまりいい気持ちはしない。謙遜だとは思っているが、ネタのように繰り返されるとやはりそれは消えない刺になるから。
もし本気で貶める気でいっているのであればそれは人間として未熟だし、そんな人の言葉を真っ正面から受け止めてやる必要もないと思う。
そんなつまらない言葉を聞いていなければならないほど、暇ではないはずだから。
さて話しは全然変わりますが、とうとう3月になりました。
春の健康診断が始まりました!
既に結構な数ご予約も頂いているのですが、検査に際し注意点をいくつか上げておきますので参考になさって下さい。
検査をする場合、食事を抜いてきて頂くのがベターです。
食べていて検査できない訳ではないのですが、食べた時に上がる数値がいくつかあるので、そこは参考値になります。
朝ご飯を抜いて午前中に来て頂くのがいいでしょう。検査センターの集荷の時間もあり、午後の場合は翌日に提出することになります。
またレントゲンや超音波検査の場合も、胃袋に目一杯のご飯があるととても見づらくなります。
シニア以上の子達、特に十歳位以上の子達に関しては、超音波検査をお勧めしています。
麻酔もかけずに内臓をチェックできる素敵な検査です。軟部組織に強く、がんなどを早く見つけることができます。
毎年自覚症状のない癌を必ず数例見つけます。自覚症状がない時点では特に早期発見ですので予後が良いのです。
また心臓の動きを直接評価できますので、心臓病好発犬種である小型犬は特にお勧めしたい所です。
ただどの検査を組み合わせるかによっては、ワクチン後の様子も確認するために少しお預かりする場合もあります。
一年中の予防をしていない子は必ず確認しましょう。
昨年はノミもマダニも、もの凄くよく診ました。お散歩にいっている子だけでなく完全室内飼いの猫ですらノミの感染がありました。
虫達は命がけです。寄生しなければ子孫を増やせないのです。どんな小さなチャンスでもものにして寄生してきますので、こちらも全力で予防して頂きたいと思います。
春はせわしなく、花粉は大変で、それでも美しい季節です。
心安らかにすごすことができますように、サポートを万全に行いたいと思います。
2014-03-31
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