蒸し蒸しと湿った空気が続きます。少し涼しくなったかな?と思いきや妙に熱さがぶり返して、またぐったりと体が疲れてしまいますね。
通りにでると鼻先をかすめるように金木犀の芳しい香りが流れて、それでも秋は深まっているのだと感じます。
小さく健気なオレンジ色の花が、濃い緑の葉の陰から溢れるように咲き出す光景は、何とも風情があります。
視覚よりも嗅覚で私たちを癒してくれる金木犀の盛りも、もうすぐでしょうか。
街に出れば、南瓜やさつま芋,栗といった秋の味覚達に彩られたお菓子売り場や限定のドーナツなど、流石天高く馬肥ゆる何とやら,味覚も秋を楽しまんとわくわくしています。
最近はチョコレートやクッキーのみならず、スナック菓子やお茶の葉などにもフレーバーがついていて、選ぶのが楽しいですね。
日本は大変グルメな国なので、どの外国へいっても日本以上に美味しい物を食べるのは実際難しいと思うのですが、あれは現地にいった時にその空気と環境のなかで食べるからこそ,楽しいのだと思います。
遠足のお弁当がよりおいしく感じたり、仲の良い友人で集まってするバーベキューが楽しいのも、この側面がある気がします。雰囲気と見た目を一緒に食べている訳ですね。
美味しいものの記憶というのは、なぜかとても深く刻まれて、なかなか忘れることがありません。これは私が食い意地が張っているからもあるかもしれませんが。
食べたときの味、状況、お店の雰囲気、一緒に食事をともにした人たちのこと、鮮明に覚えていて、前後の所は忘れてしまったのに、その料理だけは覚えていたりなんてことも。
旅先ともなれば余計にでしょうか。
いくつか強烈に記憶に残っている食事があります。
高校生一年生の時、夏休みにニュージーランドにホームステイに行きました。
ホームステイ先はとてつもなく大きな農場だったのですが、ホームステイ先のお母さんはお料理上手で、とても手の込んだ食事をいつも作ってくれました。
ラザニアは生地から手作りだったり、ひよこ豆のスープも鳥の煮込み料理も今の私でもよくわからないくらいたくさんの香辛料と具が入っていて、これが海外のお母さんの味、というやつなのかと感激した覚えがあります。
ニュージーランドは元はイギリス領でしたから、イギリス料理が主になります。
そう、有名なイギリス料理ですね。事前情報で食事がまずくて食べるものがなかった、と言う先輩達の意見も聞きいていた分、料理のおいしさは驚きでした。
実際ホームステイ先のお父さんがいうには、イギリス人は基本的に舌が鈍感で、ミルクの味くらいしかこだわりがないのだというのです。
それにしては全然美味しいよね、と思ったのは到着したその夕ごはんで、その翌朝からはシリアル、ライ麦パン、穀物入りハード系パン、とミルク、ジャム、ゆで卵の実の朝食が始まりました。
パンは好きでしたし、シリアル中心の朝ごはんとは聞いていたのですが、何せ甘い!パンには下味で甘みが強く付いていて、それにバターとジャムを付けて食べるので、もう歯が抜けるほど甘い。
それにいわゆる日本人が好む白い柔らかな食パンのように軽いパンではなく、重い穀物系のパンです。
これが毎朝変わらずに続く。甘くないのは茹で卵とそこに付いてくる塩のみです。
エッグスタンドにたてられたゆで卵の頭を、きれいにナイフで切り取ってすスプーンですくって食べるのです。この食べ方は斬新で、やはり文化の違いを肌で感じました。
思いがけずさっくり切り取ることができるその感触にちょっとはまってしまって、日本に帰国してからも自分でエッグスタンドを買ってしばらく使っていたのを思い出します。
最終的に、私はしょっぱい味の恋しさに、ゆで卵にマヨネーズを混ぜてそれをパンに塗って食べていました。
この光景を見た、おとうさんもおかあさんも、間違いなく異星人を見るかのような目つきでした。
考えてみるとこちらでいう卵サンドというものはありませんでした。甘くないパンは邪道!ともいいそうな雰囲気の中、ああこれでなんとか朝食を乗り切れる、と思いました。
ちなみにシリアルも、こちらのような軽いものではなく、グラノーラのようなもので、ケロッグのお世話にしかなっていなかった私にはハードルが高いものでした。そして甘い。
でもそれに砂糖をしこたま掛けて食べるのが向こうの食べ方で、また白目をむきそうになりました。
そういえば赤かぶの酢づけのはいった、キウイサンドというのがありましたね、何とマクドナルドにもキウイバーガーというのがあって、キウイフルーツが入っているのかと思ったら、赤カブが入っていました。
キウイ??と目が点になったのも良い思い出です。
英語が通じずに夕食を二回食べてしまったことも、昼休みにランチボックスを開けたら、小ぶりのリンゴ二つに、チーズサンドが入っていて、もちろんりんごは皮のまま丸ごとで、どうしたものか悩んでいたら、服で拭いてかじれと言われて、最後にはそれに慣れてしまったこと。難易度が上がってキウイフルーツがそのまま入っていて、さすがに皮ごとは食べられず残したこと。
昼休みの売店でカップヌードルにお湯を入れてもらって食べたこと、週末に開催されるホームパーティーで、手作りされるケーキがとても美味しかったこと、ある教会のパーティーにいったら、お祈りの最中おとうさんがまじめな顔をして目をつぶっている私たちに、首をすくめてお祈り長すぎだよね?と言ったこと……。
振り返るとたくさん小さな思い出が残っていて、あのまだ多感であった時に、どれだけ刺激的なことだったのかをいまさら強く感じます。
私の高校は進学校で、勉強さえできれば何でもある程度許されるという認識が、生徒同士にすらあって、運動会で盛り上がりもせず、文化祭も受験勉強の邪魔だなあ、義務かな、程度に考えるような風潮でした。
今更ながら、なんてもったいなかったのかと思います。
昔から妄想少女だった私には息苦しくて毎日は灰色で、卒業を考えるよりさっさと受験が終わってくれないかと、毎日そればかりを考えて過ごしていました。
それでも高校一年生の時は、友人にも恵まれて、毎日が楽しかった記憶があります。
担任の先生は厳しかったけれど本当に授業をするのがうまくて、数学が大嫌いな私に理数系の道を示してくれたのは、その先生のおかげでした。その一年間がなければ、私はこうして獣医になっていないでしょう。
そんななか、海外へ出してくれた両親には、本当に感謝しています。
びっくりすることが沢山あって、カルチャーショックももちろんあって、慣れない外国で一人で頑張ることがどれほど心細いか、受験ばかりのその世界の先に海外や考えたこともないような職業や宗教や考えた方があるのだと、肌で感じることができたからです。
思春期には世界が狭く感じられ、自らがいる半径5メートルほどのことしか考えられない時代です。
なにかとても深いことを思い悩んでいるようで、今から考えると、その真剣さこそなかなかすごいことだと思っても、悩んでいる内容は別段大したことではないのです。
親の庇護のもとにあって子供という立場に甘んじている間の制約は大きいものですが、みずから親の立場になって社会に出てみれば、また物事の見方も百八十度異なります。
それでも、ああやって思い悩むことができた時間がいかに貴重で、それを両親がどうやって守っていてくれたのか。安心して悩むことができる時間が、どれほどありがたかったのか、今ならよくわかるのです。
なかなか感謝の言葉を伝えるきっかけはないのですが、まず日常の小さなことから、感謝の言葉を伝えていきたいと思います。過去にさかのぼる前に日常の感謝が山とあるので。
今なら振り返ることができる思い出は沢山あると思います。大人になってから気がつくことも、沢山あります。
特別な日にしなくても、思い出したその時に、気がついたその時に、感謝の気持ちを身近な人に伝えるようにしていきたいですね。
ちなみに皆さんもうお分かりかと思いますが,犬も猫も大変グルメです。
一度食べた美味しい物は、一生忘れません。
ですから一度でもささみや鶏肉やおやつを上げれば、そのことを忘れない彼らはいつか、あのお美味しい物を絶対に食べよう!という強い決意をして、日常を過ごすことになります。
年を重ねて食事がいつも通りにできなくなった時に、おいしいものを出せば食べてくれるかもしれない、でも若い時から口が肥えているとそれはまずあり得ません。
若く体が頑健である時は、なるべく粗食でいてもらいたいものです。
2016-09-30
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