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17年ぶりの再会
17年ぶりの再会

家を出ると、どこからともなく金木犀の香りが漂ってきました。

強く艶やかで濃厚な香り、三大香木として名高い沈丁花、梔子に続く天然の方香木は伊達ではなく、その姿が見えなくても存在を主張するほど。

元は銀木犀という白い花を持つ香木の変種だそうで、匂いは金木犀の方が強いのだとか。

なんと国内には香りの良い雄株のみが輸入されているらしく、身をつけるメス株は原産国である中国に行かないと見られないそうです。英語ではOsmanthus、もしくはfragrant olive で、香るオリーブとは確かにそのままですね。むしろオリーブなの?とびっくりしたのですが、キク類、シソ目、モクセイ科、オリーブ連、モクセイ属モクセイ種だそうで、なるほどオリーブなのねと納得しました。

花言葉は謙虚、謙遜、気高い人、これだけ主張の強い香りを持ちながら、花は小さく可憐で控えめな姿から来たもの、気高い人はこうとして身分の高い人が身につけたことから由来するそうです。

かつてその強い香りは汲み取り式トイレの臭い消しとして用いられたため、そばに木が植えられたり、香りを抽出して芳香剤に使われていました。駅などの公共施設や小学校のトイレなんかにはよくボトルで置かれていたものです。お馴染みのレモンせっけんと同じように。

人の記憶に最も長く残るのは嗅覚と言われていて、香りと思い出は一体になっていることが多いものです。我々世代くらいだとそのイメージが残っているのでしょうね。その香りを嗅ぐと必ず誰かが「トイレの芳香剤だ!」という切ない時期もありました。

しかしトイレの目覚ましい技術進化により、現在では異臭を強い香りで打ち消すといった対策はとられなくなり、金木犀の香りは本来のその香しさにそって、秋の様々なキーアイテムとして使われるようになりました。ハンドクリームやボディオイル、入浴剤やヘアオイルなどにも秋限定アイテムとして取り上げられ、今ぐらいの時期は多くの製品が商品棚に並んでいます。

オレンジのようにも桃のようにも感じられる、爽やかで甘いのに穏やかさを感じる香りは、多くの人の気持ちを癒し和ませるものになっているのでしょう。

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そんなどこか懐かしい秋の香りに包まれて、先日、とても嬉しいお客様がジャンボどうぶつ病院にいらっしゃいました。

「十周年のお祝いに」とおっしゃってきてくださったのは、なんと私が新卒で勤めた病院で担当していた可愛いトイプードルの飼い主さんだったのです。

待合室でゆうに17年ぶりに再会した飼い主さんにお会いした瞬間、自分の時間が巻き戻り、かつての新卒ホヤホヤで診察に出る前にいつも心拍数が跳ね上がっていたころを思い出しました。

「ママ!お久しぶりです!」

どうしてここに、なんて聞く前に駆け寄って抱き合って、一気に涙が出てきました。

ミーシャちゃんという黒の毛並みも凛々しく、大変美形な男の子のトイプードルの担当になったのは、千葉の病院に勤めてすぐの年でした。

新卒で勤めた病院は大きなところで、頼りになる諸先輩方が多くいらっしゃって、来院される患者さんの数もとても多い病院でした。

週一回の定休日を含めて月七日の休みしかなく、往復三時間強の通勤時間と、定時などない勤務形態の生活はとびきり厳しく、それまで忙しくはあったもののあくまで学生でしかなかった私には本当にハードなものでした。

呑気な学生とは一線を画した、大きな責任と重圧のかかる獣医師という職、それもかかっているのはどうぶつたちの命そのものです。

来院される動物たちは基本的になにかの不調があり、飼い主さんたちは不安に包まれています。その不安を聞き出し、原因を突き詰め、治療を施し、症状の改善を図るというとてつもないミッション、卒業したばかりの国家試験の合格証だけを握りしめた新卒の獣医師にはそれこそミッションインポッシブルなわけで、経験も自信もない私には、トムクルーズには遠く及ばない度胸と勇気しかありませんでした。

けれどそれを飼い主さんたちに悟られるわけにはいかないのです。

その当時の副院長に言われたのは、国家試験を手にした瞬間から、経験が一年でも10年でも30年でも、周りからは等しく獣医師として見られ、その責任はかけらも軽くはならないということでした。

ですから診察室にはいる扉の前、いつだって深呼吸をして、そばについてくれる看護師さんに気合を入れられ、震えそうになる手に力をこめて扉を開けていました。

一歩入ればそこは戦場。全身の神経を張り巡らせ、ありとあらゆる視覚情報を見逃さず、耳をそば立て、体温を測りながら同時に飼い主さんから問診をする、スムーズでスマートな対応が必須。病気の予測をたて、必要な検査を脳内で叩き出し、その必要性をきちんと説明して了解を取り付け、同時に処方すべき薬やかかる金額を計算する。

先輩たちは事も無げにやっていることですが、もちろん私はそんな理想通りにことは進まず、わからない症状を「少しお待ちくださいね」と冷や汗をかきながら飼い主さんをお待たせし、処置室に飛び込んでベテランの先生方に「ここがおかしいと思うんですけどどうですか」と指示を仰ぎ、爪切りや足裏バリカンを依頼されれば、「大丈夫ですよ〜」と笑顔で四苦八苦の胸の内を隠し、看護師さんのサポートを受けながらまるでいつもやっています、みたいな顔をして必死に処置する。

診察が終われば今の反省点を見ていてくれた看護師さんと話し、カルテを書く暇はないので全ての診察が終わった時点で先輩方に確認しながら1時間以上かけて書いていました。

本当に診察ごと毎回一戦一戦戦っている気持ちで過ごしていたので、家に帰れば討死したかの如く倒れて眠るだけ、休みはベッドがら一歩も出られない、なんていうのは当たり前でした。

ミーシャちゃんに会ったのはそのころです。元気で賢くてまだとても小さい子犬でした。

お家に来て初めての動物病院、混合ワクチンでいらっしゃったのが最初だったと記憶しています。

仔犬や子猫の状態で、初めて病院にきた動物たちの担当になることは、大変責任を伴うことです。

今後の一生に関して必要なワクチンの接種予定やフィラリアやノミマダニの予防についてや、去勢手術のメリットの説明など、伝えなければならないことがたくさんあるからです。

だからこそ、わかりやすく簡単で、伝わりやすい話し方を、テンポよくしていく必要があります。冗長で退屈な学術的な話に終始してしまえば、聞きなれない専門用語は脳をすべり、記憶にとどめてもらえなくなるからです。

初めての動物病院できちんとした知識を伝えてもらえないと、その後おおよそ5年ほどもっとも病気にならない期間に突入する動物たちは、病院に通うという習慣すら失ってしまうことがしばしばあります。

これはペットショップなどで購入された場合に見られる残念なことですが、ワクチンをペットショップに付随する簡易的な病院で接種すると、詳しいワクチンプログラムが説明されていなかったために、翌年の追加接種を知らなかったりするのです。もしくは混合ワクチンは知っているけど、狂犬病ワクチンは知らない、みたいなアンバランスな知識状態になったりもします。

加えて本当に大きな病気になるまで、かかりつけの病院が簡易的施設だけ、ということになる場合もあります。こうなるといきなり高齢で重症化した動物を抱えて、初めて行く動物病院に駆け込まなければならないので、精神的な負荷は多大なものになります。

たとえばそこで獣医師との相性が悪ければ、基本的には動物病院は行きたくないところ、病気の時にだけ行けばいいと思われて通院のハードルが上がり、診察すべきタイミングが遅れてしまうことにつながることもあります。

初めての動物病院の責任はとても重大、ビリビリと背筋に緊張が走ります。

でも診察室で出会ったミーシャは可愛くて可愛くて、診察台の上でも物おじせずこちらに興味津々で、こんなに小さな子犬に触れられるのはブリーダーか飼い主さんか、獣医しかいないなあ、特権だなあなんてとうっとりしました。

そして拙い説明で、ただひたすら情熱で突っ走る技巧もない診察だったのにも関わらず、飼い主さんは信頼してくださって、その後も担当を任せてくれました。その当時の病院は獣医師が指名制でしたので、ベテランの先生方がたくさんいらっしゃる中、新卒の私を指名してくださるのは本当に嬉しかったのをよく覚えています。

ミーシャと飼い主さんとの時間は張り詰めた仕事の中で一服の清涼剤とも言える時間でした。

彼が賢すぎたために家から脱走して迷子になった時は、ご家族同様肝を潰し、見つかってブルブル震えながらケガのチェックに来た時は、安堵のあまり泣きそうになりました。

そうして三年、私は大学病院に研修医として所属することになり、退職することになりました。

飼い主さんとミーシャは、最終日にわざわざ会いに来てくれて、嬉しくて泣きそうでしたが、病院方針として獣医師は泣いてはいけなかったので必死に堪えました。でも多分、ほとんど泣いていたと思います。これから先働く場所が変わっても、絶対に今こうして経験の浅い自分を信頼してくださったことを、信じて診察を任せてくれたことを、忘れまいと誓いました。

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ミーシャは17歳で飼い主さんのそばで眠りながらお空に旅立ったのだそうです。

立派に長く元気で生きて、そして満足してこの世界を後にしたのでしょう。

ミーシャらしい見事な最期でした。

本当は会わせてあげたかった、と飼い主さんはおっしゃいました。

私も会いたかった、と思いつつ、でも今この時にも飼い主さんと一緒に、私を見に来てくれたんじゃないかなと思いました。ミーシャに教えてもらった信頼に報いるために必死にここまで過ごしてきた私を、頑張ってる?ちゃんとやってるの?なんて黒くて綺麗な目をピカピカさせながら。

ちゃんとやってるよ、なんとか頑張ってるよ、前より採血も上手くなったし、説明ももっとわかりやすくできるようになったよ。ミーシャに恥じない獣医さんになれてるかな。

飼い主さんに抱きついたまま「泣いてしまう」と言ったら「もう泣いていいのよ」と言われて涙が止まりませんでした。前の病院で獣医師は泣いてはいけないことを、覚えてらっしゃったのでしょう。

でも今は、私と飼い主さんはミーシャの思い出を同時に大切に思う者としてここにいるのだから、泣いてもいいんだな、と思ったら余計に涙が溢れました。

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私がここまでもっともハードと言われる臨床の獣医師を続けてこられたのは、いつの時もそんな私を信頼して診察を任せてくださった飼い主さんと、動物たちのお陰に他なりません。

私は本当に運が良くて、多くの優しい飼い主さんたちにたくさん信頼をもらって、その想いを糧にして今まで必死に走ってこられたのだと思います。

切ない別れも、やりきれない辛さも、元気になった喜びも、ともに過ごすことができる楽しさも、全ては大切な財産であり、宝物です。

今まで関わってくださった全ての飼い主様、動物たちに感謝しかありません。

本当に、本当に、ありがとうございます。

これから先の10年も、20年も、獣医師であり続ける限り、新卒の時と同じく自分にできる精いっぱいと全力で、努力し続けることを改めて誓いたいと思います。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

2023-10-26

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