梅雨入りした関東は雨が降り注いでいるので空は、雲にゆったりと包まれている。曇天である。
春の嵐が五月の終わりまで続いていたので、すみやかな移行だったように思う。
雲のあいまから射す光が柔らかなのは、でっぷりと太った雨雲を透かしているせいだが、たまに強い日差しが切れ間から照るので、いつの間にか落ち込んだ微睡みからハッと引き戻されるような気がする。
さて過去に読んだ本は物語の場合、そのストーリーをかなり細かく覚えている人は多いのではないだろうか。
たとえば見たこともない映画が流れていて、それを何の気なしに数分見た時点で、あ、これあの話の映画化したものだ、ということに気がつく。別に登場人物は名前も言っていないし、題名だって言っていないのに、ということは割合とよくあるのではないだろうか。
でもそれはうっすらとした記憶で、そのストーリーをなぞるだけのレベルだったりする。
その本をいつ、どんな状況で読んで、どんな気持ちや感想を抱いたのか、ということはたいてい忘れているので、読み直した時にそういえばこんな風に思ったな、と思う程度だ。
けれど、そういった一般的な記憶に残っているレベルではない本も確かにあって、その本を初めて読んだシチュエーションをかなり詳細に、たとえばその時に隣に誰がいて、母が作っていた料理の匂いや、部屋の明かりの色、付いていたテレビの音楽、鳴った電話のベルすらも思い出せるような。
わたしにとってその中の一冊は、よしもとばななさんの『キッチン』である。
高校三年生の夏、そりゃあもう暗黒の受験生である。いわゆる正念場を迎えて周りも殺気立っている。
高校の先生方はこの時点で合格できなさそうな、浪人しそうな生徒に滑り止めの学部を強く勧め始める。そう、私のような生徒である。
獣医学科は非常に数が少ない。よって偏差値は非常に高い、難関大学である。少し前まではそこまででもなかったらしいが、私の受験した時代は某有名な獣医学部漫画が大流行りした後で、空前の獣医ブームであった。
よって偏差値だけ見れば医学部と肩を並べるか、もしくは学校によっては上になっている場合もあった。
そもそも文系脳である私が理系ど真ん中の獣医学部を受験するというのはかなり無謀なことで、担任からは文系の大学を滑り止めで入れてくれと泣きつかれていた。
お願いだから浪人はしてくれるな、というのが学校側の主張だった。
応援してくれたのは、高校一年の時にたった一年だけ担任してくれた先生だけだった。
数学の担当だった先生は一年生の時の二者面談で第一志望におずおずと獣医学部を記入し、第二希望に文学部を書いて提出したとんでもない私に、「やってみればいいんじゃないか、いつでも文転はできる」と後押ししてくれた。
とてもとても厳しい先生で、理系に向いていないと判断したら、容赦無く文系にさせると本人が豪語していたのだが、私はその時に止められなかった。
絶対に反対されると思っていたので、逆にそこで腹がくくれたと言ってもいい。あの先生がいいって言ったんだから、なんとか理系でも行けるかもしれない。
その言葉をよすがに、必死に苦手な教科を勉強していたが、どんなに止められても本を読む時間だけは削れなかった。
血走った目つきで高校生らしい楽しさなんてかなぐり捨てて、周りじゅうがライバルな恐ろしい高校生活の中で、本を読むことだけが私の唯一の救いだったからだ。
私の通っていた高校は日本有数の本屋さん街の中にある。
通常帰宅途中に寄り道は塾以外許されていないのだけれど、本屋さんだけは立ち寄りが許されていた。
毎日のように立ち読みをして、本を買い、塾の行き帰りに単語帳もみずに、本を読んでいた。
『キッチン』はそんな時に手に取った本だった。
確か作者名を存じ上げていたのと、そのおしゃれな表紙につられて購入したのだった。その日は夜、家庭教師の先生が来てくれる日だった。
家への帰り道、電車の中でページを開いた。黙々と読んで、帰って部屋に戻ってからも読んだ。
先生が来て、呼ばれて降りて言った私を見て、母も先生もギョッとして声を失っていた。
号泣していたからだ。
それはもう凄まじい勢いで、嗚咽を漏らしながら泣いていた。止まらない涙を吸わせるために押し立てていたタオルが、重みでぐったりするほどに、泣いていた。
しゃくりあげて泣く私に、どうしたのと滅多に動揺しない母が声をかけ、先生は言葉もなく私を見ていた。
正直によしもとばななさんのキッチンを読んでいたら、涙が止まらなくなったと答えると、あんたはまったくもう、何があったのかと思ったじゃないと、母が強張らせていた体から力を抜いた。
それでも涙が止まらずにひっくり返った声を挟みながら泣いている私に、先生がその時にそのタイミングで刺さる本てあるんだよね、というようなことを静かに言ってくれたのをよく覚えている。
まさにそうだった。
その本は恐ろしいほど色々なところで堪えていた涙を噴出させるものだったのだ。
受験戦争でいろいろな傷つき方をした。傷つけたこともあっただろうし、傷つけられたこともあった。
対人関係が苦手な私に取って女子校なんていうのは魔窟以外の何ものでもなかった。
本来であれば思春期の六年間は、希望の大学に行くための準備だけの期間と成り果てていたし、今日信頼していた友人が成績表一つで悪口や嫌がらせをする相手に変わるのだ。
成績至上主義がはびこる教室では、飛び抜けた才能や成績の優秀さがなければ、人権などはなかったように思う。いじめがあってどうこう、という話ではなく、お互いにもっと冷たくて乾燥した無関心の中に置かれていた。
互いに距離を保ちながら当たり障りのない日常の会話をし、志望校と成績のことになると口をつぐむ。通っている予備校名を共有せず、予備校の教室で会ってお互いはっとする。
授業中はおしゃべり一つない。皆それぞれ一番しなくてはならない勉強をする。広げられた教材は多種多様で授業の科目など無視されていた。
そこにいたのは花のJKなんかではなく、今を捨ててただひたすら自分の将来のために勉強する傭兵みたいなものだった。
そんな灰色どころか真っ黒に感じられた世界の中で、『キッチン』に綴られていたのは、ひどく残酷で美しい世界だった。
あれは喪失の話だった。失う、ということとその後に流れる無慈悲な日常の話だった。
灰色でしかないと思っていた無機質な生活のすぐそこで、完全な喪失があると言う事実が、胸を突いた。
生死という分かりやすい線引きは、たやすく越えることが出来るもので、越えてしまった場合には決して戻ってくることが出来ないものだと、知っていたはずなのに、日常に麻痺してしまっていたのだ。
『キッチン』だけで泣いたのではなく、それに続く満月とムーンライト・シャドウに心を撃ち抜かれたのだけれど、でも久しぶりに心の奥底から泣いたのだと記憶している。
それだけの影響を受けたのに、それから一切ページを開かなかった。
開けばまた止めどもなく泣いてしまうだろう。閉じ込めた気持ちが飛び出してくるのは避けたかった。
『将来のためだから』『大学に入るためだから』『自分のためだから』そう言い聞かせて人非人的なことを黙殺して過ごしている自分の覚悟が揺らいでしまうと思ったのかもしれない。
それなのに、爽快なほど泣いた記憶は鮮明だ。未だにあの時に自分がリアルに感じられる。泣きながら降りた絨毯が貼ってある階段のある古い家はもうないというのに、裸足の足にチクチクしたその感触すらはっきりしているのだ。
そんなことを思い出して、『キッチン』を本屋さんで手に取った。あの時の本はいつの間にか手元を離れてしまったから。
本を読むことすら、最近避けていた。受け止めなければならない感情が多すぎて、新しい本を読む余裕すらなかったからだ。
診療で巡り会う動物たちはなんらかの病と闘っている。一緒になって闘っても助けられることもあるし、助けられないこともある。
そこにかける心のエネルギーは理解してもらえることもあるし、理解されないこともある。傷つくことも、たくさんある。
それでも、これが仕事で、天職だと信じたいから、必死で全力で毎日を過ごす。 全力がその程度かと笑われても、出し惜しみするほど器用ではないからこれが全力だ。
誰かに認めてもらってどうかなる話ではなく、自分が自分で認めるしかないことだ。 そういう生活の中で、改めて『キッチン』を手に取った。
あの時のように泣くことができるのだろうか。 あの時ほど柔らかな心はもう残っていない気もするので、すこし苦しかった。
結論ですが、すんごい泣きました。
あの時どこの文章で泣いたのかも思い出したし、新たな泣きポイントも見つけてしまった。
本編でも大泣きしたのに、あとがきでまた涙が止まらなくなった。
「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生は淀みなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。
もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。そのために甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。多少の工夫で人は、自分での思うように生きることができるにちがいない」
その信念をつたえるために、この本を書いたのだと、吉本ばななさんはいう。
その信念は確かに私に伝わったのだと、十年も前に読んだ本にまた新たに気がつかされた。
つられて確かあのあと、作家買いでほとんどすべての作品を買いあさって読んだと思い出した。
その当時よりも大人になったはずの私は、なぜかまったく同じ気持ちになって、文庫の後ろに並んだ既刊一覧をみて、さあネットショッピングだと、PCの画面を開いているのである。
2017-06-15
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