動物病院HOME < 院長のコラム < 新たな治療薬が購入可能に
花粉の猛威に、風の強い日に外に出るのが少し恐ろしいほどですね。幸いマスクを常時していることに慣れたので、普段から吸引する量が減っているのか呼吸器の症状は出ていないのですが、全身の皮膚があちこち痒くなって湿疹が出始めました。間違いなくアレルギーの気配、加えて口唇ヘルペスのムズムズも感じるので、これは全身的に色々なものに対して過敏になっているという自覚が促されます。こういうときは疲れやストレスを溜めず、ゆっくりと休み、美味しいものをたべ、心地よく過ごす時間を確保するに限ります。
もちろんそんなことがスムーズにできるわけでもないので、抗ウィルス薬を飲み、ビタミンを摂って、なるべく早く寝ようと思います。
さて、3月に待ち望んでいた新たな薬が認可され、国内で購入することが可能になりました。いままでは個人輸入に頼っていたのですが、これからは必要な時に素早く購入できるので、本当に嬉しいです。
以前のコラムでも取り上げたことがあるのですが、薬の名前はアグレプリストン、ビルバックジャパンから販売されている商品名アリジンです。
これは着床と妊娠維持に関与するプロゲステロンというホルモンと、その受容体との結合を競合的に阻害することで流産を誘引する薬です。
ちょっと難しい言い方ですね、かんたんにお話しすると、プロゲステロン(プロジェステロン/黄体ホルモン)はエストロゲン(エストロジェン/卵胞ホルモン)と同じく女性ホルモンの一つで、ステロイドホルモンの一種でもあります。受精卵が子宮に着床し妊娠を維持するために作用します。
ホルモンが作用するためには、レセプター(受容体)に結合する必要があります。ただ分泌されただけでは効果を出さないのです。
このホルモンとレセプターの関係は、よく鍵と鍵穴に例えられるのですが、ホルモンにぴったりの形をしたレセプターが用意されています。
よって基本的にはプロゲステロンのためのレセプターには他のホルモンは結合することはできません。
しかしアグリプリストンは、プロゲステロンととてもよく似た形になっており、鍵穴に嵌ることができるようになっています。しかし実際には少しだけ形が異なっていて、鍵穴に嵌っても、鍵を回して扉を開けることはできないのです。加えてプロゲステロンよりも鍵穴にくっつきやすくなっているため、アグリプリストンがプロゲステロンと同時に放出されると、プロゲステロンよりはやくレセプターにくっつくことができ、プロゲステロンが鍵穴にはまることを防ぎます。フルーツバスケットの椅子取りゲームみたいな感じですね。早くその席に、ここではレセプターですが、座ったもの勝ちというシステム。
アグリプリストンが先にレセプターに結合することで、プロゲステロンはその作用を発現できなくなります。
よって妊娠の維持ができず、人工的な流産が引き起こされます。
そう、このお薬がなかなか国内認可されなかった一つの要因は、これが人工流産を起こす堕胎薬の一種であるからです。
え、いまって基本的に一般の飼い主が交配を行なってブリーディングすることは推奨されていないし、人工流産の薬になんでおおよろこびしてるの?と疑問に思われると思います。
私が喜んでいるのは、この薬が持つ認可の効能外の使い方が非常に有用だからなのです。
実はこのお薬、効能外のためあまり知られていない方法ではあるのですが、子宮蓄膿症の内科的治療の一端として有名なお薬なのです。
子宮蓄膿症に関しては以前 避妊手術に関して書いたコラム を参考にしていただきたいと思います。
子宮蓄膿症は子宮の中に膿が溜まり、そこはら発生する毒素が全身へと回って敗血症となり死亡する恐ろしい病気です。未避妊の中高齢以上の犬、猫に発生し、治療は基本的に子宮卵巣を摘出する外科手術になるのですが、特徴的な臨床症状に乏しく、見つけたときには全身状態が悪過ぎて手術ができない、という辛い状況の子たちが一定数います。
この場合、全身状態の改善を抗生剤中心で行い、なんとか全身状態を改善して手術に漕ぎ着ける、という戦略を取るのですが、治療の甲斐なく亡くなる子たちも多くいます。
ですが、このアリジンを使えばこの溜まった膿を体外へ排出させることができるのです。
アリジンにはプロゲステロンの作用を妨害して流産を起こすという作用の中に、子宮口をゆるめる効果があるのです。
子宮口はその名の通り、子宮と外界との出口です。正常な妊娠中は赤ちゃんが十分に育って生まれ出るときにだけゆるみ、出産の時に開きます。妊娠中はプロゲステロンによりこの子宮口はしっかりと閉ざされているのですが、この作用をブロックすることで子宮蓄膿症で子宮内に溜まった膿を体外へと排出させることができるのです。
この治療法の成功率は70%程度ですが、そもそも第一選択である外科手術に臨めない場合にはかけてみるだけの価値があります。
実際、大学病院に勤務している時にこのアリジンを使ったチワワの子がいましたが、1回目の投与を行ったその日の夜に大量の排膿が見られ、翌日には膿の溜まった子宮でパンパンに張っていた腹部はペシャリと潰れ、なんと700グラムも体重が減っていました。その後もしばらく排膿があり、全身状態は他の補助療法も行いながら改善へと向かいました。
その時は飼い主さんの意向で避妊手術をなんとしてでも回避し、子宮温存してほしいとの希望がかなり強く、治療を説明される担当医が説明に非常に苦慮していました。
なぜならばこの素晴らしい効果はあくまで今回の発情に伴う子宮蓄膿症に関してだけで、次の発情の時に再び発症する可能性がかなり高いのです。
どちらかといえば避妊手術をするのに耐えられる体力を戻すために緊急で行う処置であり、この飼い主さんのように交配を希望しているから子宮を残したい、という希望には沿うことが難しい治療なのです。
子宮蓄膿症になる時点で交配には向かない体なのです、と言葉を選びながら辛抱強く丁寧に説明されている先生の姿をまだよく覚えています。このときは来院された時点では飼い主さんは子宮蓄膿症であることを受け入れられておらず、妊娠しているから腹部が腫れているのだ、と強く信じていました。ホームドクターの先生が何度も説明と説得を続けても、どうしても病状を承知していただけなかったために、苦肉の策で大学の専門科に紹介されてきた症例でした。
獣医師からの2時間以上の根気強い説明と、血液検査や超音波検査、レントゲン検査などの客観的データの提示。こういったことは当然ホームドクターでも行われていたのですが、結果的に病状と向き合って治療に臨まれたのは、おそらく飼い主さんがこの子にどれだけ強く妊娠を望み、そのためにとても長い時間とコストと気持ちを傾けてきたことへの理解を示したか、だったのだと感じました。
どんなに合理的で理性的な結果を提示し詳細な説明を行なっても、人がそれを受け入れるかどうかは非常に感情的なものが強く関与しています。
例え専門家であり、専門医であっても、あの時の先生のようにじっと相手の話を聞きその気持ちに寄り添う姿勢を見せなければ、きっとあの犬は亡くなっていたと思います。
命を助けるということは、正しい治療だからできることではないのです。
あのとき、じっくりと時間をかけて相手の目線に立って話を聞き、けれど毅然と説明を続けられたH先生の診察を生涯忘れることはないと思います。
少し脱線しましたが、そういうわけでアリジンという心強い治療薬が認可されました。
子宮蓄膿症にならないことがなにより大切ですが、万が一の時の保険があることほどの安心はありません。
高齢で心疾患や腎疾患があるなど手術自体のハードルが高い動物たちにとってどれだけありがたいことか。
久しぶりの嬉しいニュースに思わず笑顔になった春なのでした。
2024-03-04
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