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この季節に見送った子のお話
この季節に見送った子のお話

ゴールデンウイークも明け、日常生活が戻ってきました。

このところの急速な気温の変化に、体調を崩される方も多いのではないでしょうか?

わんちゃん、猫ちゃんたちも、長いお休み明けには生活のリズム変化についていく事が出来ずに、下痢や嘔吐、食欲不信などが多く見受けられます。

二、三日で戻ればよいのですが、拗れてしまう事も多いので、様子がおかしければ、どうぞお早めに来院されてください。

hr

初夏に移行するこの時期に、思い出す事があります。

春先から今の時期にかけては、動物病院はとても忙しい時期です。

春の予防シーズンがありますので、一年に一番忙しいかも知れません。

大学を卒業するのは三月の半ば、国家試験に合格して、初めて働いた職場は海の側でした。

獣医の勉強をしてはいても、実地は全く異なります。

学ぶべき事は多く、一日はそれにはとても短い。

問診、採血、保定に電話の応対、新卒で入った私は皆さんと同じように、新社会人としてめまぐるしい日々に忙殺されていました。

知識と経験を結びつけるためには、それなりの時間がかかります。

知識と情報で頭がいっぱいになっていても、それを実際に使いこなせる訳でもなく、多くの事を実体験で学んでいる時間は、今思っても貴重で重要なものです。

毎日のように引っ掻かれ、噛まれ、上手く行かない事に悔し涙を長し、病状が回復しない子に胸を痛め、力の足りない事を何度悔いた事か。

夜は布団へはいってドロのように眠り、数時間で朝が来て出発し、また気がつくと夜になっている。

日がな一日、日光に当たらない生活に、日にちの感覚すら失われていきました。

勿論、ゴールデンウイークもお休みはありません、寧ろ混む事がほとんどで、最高時は一日二百件と来院数があった程。

戦場のようでした、そして若かったからできたのだな、と今は思います。

hr

帰って寝るだけの私に、母が、飼っていたゴールデンレトリバーの涼輔の様子がおかしいと行ったのは、ゴールデンウイーク中でした。

元から食べるのが遅いけれど、残した事はなかったご飯が、のこっている。

元気なんだけど。

私は、自分の事が手一杯で、近くの私が獣医をめざすきっかけになった先生の所に行くように頼みました。

自分で診る余裕も力もなかったからです。 そしてそれほど重要に考えていなかったからです、食べ残しがある事を。 下痢も、嘔吐もなく、熱もなく、元気もあって、なら心配ないと思ったからです。

何故、そんな風に楽観的に考える事が出来たのでしょうか。
信じたくなかった、自分の犬が重病になる事なんて、毛筋ほど考えたくなかったのです。

hr

電話があって、レントゲンで、お腹の中に腫瘍が見つかったと、大きすぎてその病院では手術が出来ないと、言われたのは、昼過ぎの事でした 。

レントゲンで、映る程の腫瘍というのは、相当大きいものです。

通常一センチ以上でなければ分かりませんし、肺のように分かりやすいならともかく、お腹の中は普通エコーで見つける事が多いのに、レントゲンとは…

その時点で、最悪の想像をしました。

大学病院を紹介している時間はないと言われ、そのまま、自分が働いている病院で手術をしてもらう事になりました。

hr

涼輔は、一緒に仕事場に行けるのが嬉しいようで、ずっとご機嫌でした。

しっぽをふりふりしながら、あちこちの臭いをかいでは、訳知り顔に目をぱちぱちしていました。

当然、初めて来た病院です。病院と分かっていなかったかもしれません、私の付き添い、位に思っていたの でしょう。

留置針を入れられている間も、術前の検査をしている間も、何故私とここに来たのかなんて全く分かっていなかったので、ひたすら最近一緒にいてくれない私が傍にいる事を楽しんでいるようでした。

ケージが大嫌いでわんわん吠えるので、昼ご飯もそのケージの傍で食べました。

手術になって、周りの先輩方から、無理に手術を見なくていいと言われましたが、私に出来る事は、見守る事だけしかありませんとわがままをいって、麻酔の管理を行いました。

お腹の中には、私の拳よりずっと大きい腫瘍が半分割れた状態で血を流していました。

淡々と麻酔深度を調節しながら、それが取り出されるのを見ました。

涙は勿論出ませんでした。オペ室でそれは許されていません。そしてここに立つ限り、私は飼い主ではなく、獣医師なのです。

状況は痛い程分かりました。

執刀してくださった院長も、助手で入ってくださった先輩も、言葉少なでした。

お腹の皮膚を縫う時、これはあなたがやりなさいと言われ、手を洗って滅菌にはいりました。

hr

長い傷を縫いながら、涼輔がどれだけ痛かったか、苦しかったかと、ずっと考えていました。

これを取り出すしか方法がない事も、予後が悪い事も、知識ではもう知っていました。

化学療法の対象外ですから、抗がん剤は使えません。

放射線治療も適用外です。

頭では理解していました。

そう言う事を、学んできたのです、脾臓の悪性腫瘍の予後は悪く、血管肉腫であればそれがなおさらで、術後の一ヶ月の生存率も絶望的に低いと、知っていました。

教科書に書いてありました。

でも心で分かったのは、術後二週間の抜糸を待たず、彼が亡くなったときでした。

hr

術後、ケージで入院となった涼輔は、入院の断固拒否をハンストという手段で訴えました。

あまりに食べないので、母が作ったスープやら大好きだったおかしやら、器に入れても見向きもしません。

しかたなく、これを食べたら退院出来るから、ちゃんと食べてと言い聞かせ、 午後の診察を終えて見に行くと綺麗さっぱり食べてありました。

院長に伝えて、その日のうちにつれて帰りました。

点滴 のパックを持って帰って、皮下補液を行いました。 今なら雑作もない静脈確保が、その時の私は出来なかったのです。 飲み薬も拒否なので、毎日注射を吸ってもって帰ってきました。ご飯は食べず、母が苦労していました。

共にいる時間が長い家族にとって、看護というのは苦しいものです。
離乳食を食べさせたり、お肉を焼いたり、スープやアイスクリームやシュークリームに薬を詰めたり。
今日食べたものが明日食べない、といった有様で、毎日違う食べ物のパッケージを開けていました。

hr

お腹が張っていると、言われたのは十日目の事でした。

波動感、というのがよくわかる様子でした。

お腹の中に血がたまっている事が超音波 で分かり、それが内臓を圧迫していました。

病院で腹水をぬき、家に帰るとヨロヨロと歩いて、いつもいる二階ではなく、三階へあがると言いました。

三階には他のゴールデン・レトリバー三頭がいて、病気の彼にも関係なくぶつかってくるので、隔離していたのです。

行けないでしょ、ふらふらしてるのに、と言っても聞き入れず、仕方なく三階へ連れて行くと、エレベーター越しに三頭を確認し、微かに尾の先を振りました。

そしてくるりと振り返ると、もういい、とばかりに知らん顔。

再び二階の戻ると、今度は一階に行くと言って降りようとしません。

そのまま一階におりるとゆっくり歩いて玄関へ。外へ出せと言います。

外にはもう夜で出せなかっ たので、玄関の三和土まで出すと、そこでうずくまりました。

なんだか様子がおかしいので、側から離れずにいると、こちらをそっと見て、なぜか視線が合わず、ああ、眼振している、と思った次の瞬間は全身を固まらせて息を止めました。

hr

手術をしてから、あっという間の時間でしたが、家で看護するという事の大変さをまざまざと教えてくれました。

病院でお薬をお出ししたり、食べないご飯のアドバイスをしたりする事は、その時そのときで一瞬です。

けれど、家族にとっては24時間常に意識を張って、その日その日を張りつめた気持ちで送る日常生活なのです。

食べないご飯をゴミ箱に捨てながら、眠っている姿を見て息をしているか確認しながら、日に 日に弱っていく自分の大切な家族を、毎日見続ける。

それはとても辛く、大変な時間です。

けれど、今までの思い出を彼を真ん中にして話し合ったり、声をいつもよりも沢山かけたり、離れていても今どうしているかなあと思ったり、 そうやって繰り返し思いを巡らせる事が、本当は看護するときの一番大切な事なのかもしれません。

いつもは仕事や学校や、日常の生活が優先されがちで、一緒にいる事が中々出来ないけれど、 傍でずっとそれこそ一日中話しかけているあの時間、涼輔は確かに嬉しそうでいつもニコニコとしていました。

しんどかっただろう、痛かっただろう、そう思うのに、よみがえるのは家族の中心で隔離したケージの中で、満足そうにこちらを 見ている姿ばかりです。

hr

最期の別れは、寿命が違う生き物として側にいる限り、必ずやってきます。

そして後悔はどんなに悩んでも、やってきます。

なぜ、あのとき、ああしなかったのか。

そう思う事は避けられないといっていいと思います。

けれど、出来れば、そう言った後悔の材料が少なくて済むように、出来る事が少なくても、そう出来るように、そう毎日願いながら診察をしています。

予防できる事は積極的に行う事、

若くても毎年、定期的な健康診断をする事、

元気があっても食事を食べないのなら、食べても少ないのであれば早めに病院へ行く事、

年を取ったのならば、おかしいなと思ってからの 様子見の時間は少なくすること。

いざ、良くない結果が出てた時、 認められない、信じられない、混乱と恐怖と悲しみと、そう言った気持ちになって涙が出てしまう事も、よくあります。

病院でその結果を受け止められずに、パニックに近い状態になって、その後受診しにくくなってしまったという話も良く聞きます。

だからといって自分の都合のいい解釈をしてしまったり、結果から目を背けると、後々、自分が苦しくなる事が多いのです

これは、獣医としてではなく、一飼い主として私が心から思う事です。

それに、悲観し過ぎたり悲しみすぎるとすぐに動物達は気がついて心を痛めてしまいます。

辛い気持ちはどうぞ病院で吐き出して、家でその子と向 き合うときはなるべく笑顔でいてください。

これは難しい事ですが、飼い主として最も大切な事なのだろうと思います。

最期まで、飼い主として家族として寄り添うために、その時は心を強く持ってほしい、そのサポートをするために動物病院があるのだと思います。

hr

どうしてもゴールデンウイークになると、あのときの彼の様子を思い出します。

そうして何も出来ずに見送る事しか出来なかった自分を苦く思い出します。

獣医さんにはいろいろな方がいらっしゃいますが、(友人のなかには一度も動物を飼った事がないものもいます)私が獣医になったきっかけや、獣 医として歩みだしたときの初心も、同じ飼い主の立場から始まっているのだと思います。

現在進行形で一飼い主の立場として、獣医師という立場よりもそちらを優先しそうになるときもあります。

そんな自分を制しつつ、診察という短い時間の中だけでなく、24時間一緒いる飼い主としての気持ちを忘れずに、これから先も仕事をしていく事が、涼輔が教えてくれた沢山のことの中でも、とても大切な事だと、そう思っています。

2015-05-15

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